「願望を愛する」の解説も3回目です。
私達は非常に限定的な視野(解釈)でしか事象を捉えられていない事が多いですね。
その視野の間口を意図的に広げる事が、願望に対しての様々なアプローチとも言えます。
ここで、願望を愛す事でどんな状態になるか?という事の解説をしてみましょう。
例えば「〇〇食べたいな」と思っていたら、タイミング良く貰えたりする事がありますよね。
食べ物は引き寄せられるという話はよく耳にしますね。
その時は、ただ〇〇の味が勝手に想像されて「あれ美味しいよな〜食べたいな」
…なんて、今現実で経験していない喜びを感じて望む事をしています。
買うのに並ぶの面倒だな〜とか、時間やお金の余裕がないな〜と言う様な手段への不安が過ぎるかもしれません。
しかし、そこに囚われずに「まあいいや、機会があれば買おう」等と忘れてしまう筈です。
※ここで注目したいのは、いつかどこかで
手に入れられる、自分が経験出来る事は
大抵、疑っていない状態という事です。
そうして忘れたり他の事に目を移していると、都合良く目の前に現れたりします。
そんな実現の仕組みは「全ての願望に共通なんじゃないの?」って事を利用したのが
「願望を愛する」です。
私は「お取寄せしないと無理そうだけど、食べたいからそのうち注文しよう!」と思っていた
地方の特産品を、数日後に知人の出張のお土産として頂けた事もあります。
限定的な物をタイミング良く貰えたり、都合良く安く買えたり…という事は日常的によく起こる。
先程の注目ポイント※を思い出してみよう…
簡単に叶ったと思われる事って、望む事の他にどんな事を思考していたとしても
「それを経験する事は可能だ」
という事が揺らがずに背後にある筈です。
表面的に出てくる条件や過程は、エゴの思考です。あらゆる状況や可能性を記憶から自動参照しています。
でも実は願望実現には何の関係もありません。
その中で何を信じて真実とするか、という事を決定している半ば無意識的な選択が重要です。
「軸となる自分」とでも表現しておきますが、軸の自分が何に従って選択しているかが、実現する事を左右すると考えています。
記憶に基づく保守的なエゴの意見に従うか?
どんな事もあり得るし自由だと、エゴの意見に従わないか?
重要なのはその2択です。
食べ物の例で言えば、軸の自分は
エゴの意見に囚われてはいない=従っていない
状態です。
ここでようやく「願望を愛する」に戻ります!
「〇〇になったら嬉しい、ただそれだけだ」
という姿勢だけをとっていれば、完結しているのでエゴの意見は不要なんです。
軸の自分はエゴには従わずに居られるのです。
願望を愛するだけとは言いましたが…
「それを経験する事は可能だ」と思っているのかどうかは、自分に問う事をしてみた方が良いです。
思っていてもいなくても、下記の設定を採用する事をおすすめしておきます。
「私が好ましく思う事、愛を感じる事が目の前に展開されるのは当然だ」
「私の世界上に認識できた事象ならば、私が得る事も勿論可能である」
この様な考えを意識しておくと、安心して愛する事が出来ます。
とりあえず今回で願望を愛するは終わります。
ありがとうございました☆