喜安な日常〜潜在意識・引き寄せ実践記録~

願望実現ヲタ、KIANの日常ブログ

実現主義者の主張

私はとにかく実現主義なのであります。

 

本当は理論だとかこの次元の仕組みとか真実がどうだとか、どうでもいいw

だって証明出来ないし正解なんて分からない。

でも自分で実際に現実がどう変化するかを検証して、何だかそうらしいぞ…と、確信が持てた事についての持論を書いてきたつもり。

それは私がかつて実現体験談等を見て

「この人みたいにしたら、自分にも奇跡が起きるかな…」

って、絶望の中に一筋の光を見つけたからだ。

 

 

掲示板で様々な理解の為に書いた内容もあるけれど、全く関係なかったなーと訂正したい事もある。申し訳ないけど…。

 

口では…ネット上では何とでも言える。

その時の理解としてだけなら何とでも言える。

けれども、それを実践して適用してリアルに実現を味わっているかは……どうなの?って方も居るのではないかなと思う。

 

現実に歓喜が…

自身が完全に、現実に望みが現れたと納得出来る様な事が実現しないなら意味がない。

妥協したり、本願は叶わないけどそこそこ上手く行ってるからいいやとか満足なんてしない。

例え想定した叶い方ではなくとも「本当最高!やったね〜!!」って幸せに包まれてこそだ。

だって自分も含め、確実に奇跡みたいな実現を味わってる方が居る(らしい)んだからね。

 

そんな奴が、このブログを書いている(笑)

 

この生が尽きたら真実は分かるんだろう。

それまでは思い切りエゴイスティックに、自分と周りの幸せを追求したっていいはずだ。

何も誰にも遠慮なんてする必要ないと思ってる。

(勿論、現実世界で身勝手な迷惑行為はしないよw)

 

「それはエゴの願望です」

「叶えてもまた別の渇望にさらされます」

「虚しい願望実現ゲームから降りよう」

と言う方も居ます。

願望実現や自我から離れる事を選ぶ事も、また自由です。

 

でも叶うシステムに居るんだと本当に知ってしまえば、願望を抱いて苦しむ事はない。

そんな風に願望を恐れたりはしない。

だって全ては明白だから。

 

自分の本心しか実現しないと知ると、

その願望でどんな体験を実現したいのか、この自分で何を表現したいかを自分の中で明らかにする様になる。

それは渇望ではなく、それを何の罪悪感もなく無邪気に楽しもうと思える。

自由に選んでいいと許されているんだって、分かるから。

それこそが無条件だろ?

願望に善悪や優劣と言う選別を、誰がする?

自分しか居ないだろ?

だから愛する事ができるんだ、自己もエゴも。

エゴも願望も現実も全てただ存在していると許し、それを恐れたりなんかしない。

 

時折、願望も自我も忌むべきものの様に言っている方を見かけるので。。。

自分はそうは思わないと、いつかはっきりと言いたかった。

 

自我から離れて楽になる人はそれでいい。

だけど、離れた視点も知りながらまた自我を最大限楽しむという生き方もあるのだ。

 

まあ何を愛とするか、完璧と、安心とするかの個人的な選択ですがね。

 

今のところの自分の見解は、こんな感じです。